なぜマラソンは42.195km?王室の要望と劇的ドラマの真相
東京マラソンをはじめ、世界各地で大規模な大会が開催されるたびに多くのランナーが挑むフルマラソン。「40km」や「42km」といったキリの良い数字ではなく、なぜ「42.195km」という細かな端数がついているのか、疑問に感じたことはないでしょうか。
この中途半端な距離が誕生した背景には、古代ギリシャの戦いに端を発するルーツだけでなく、20世紀初頭のオリンピックで起きたイギリス王室の都合と世界中を熱狂させた劇的なドラマが存在します。今や世界標準となった42.195kmの誕生秘話と歴史の真相を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:もともとマラソンの距離は約40kmと曖昧で、開催地ごとに異なる距離で走られていた
- 要点2:1908年ロンドン五輪でイギリス王室の要望により距離が調整され「42.195km」が生まれた
- 要点3:ゴール直前の「ドランドの悲劇」が大反響を呼び、1921年に国際陸連が正式距離として公式採用した
【起源】マラソンのルーツ「マラトンの戦い」と昔の距離
マラソンの起源は、紀元前490年に起きた古代ギリシャとペルシャ軍の激突「マラトンの戦い」に遡ります。劣勢を覆して勝利を収めたアテネ軍の兵士が、勝利の吉報を祖国へ届けるためにマラトンからアテネまでを駆け抜け、報告直後に力尽きて息を引き取ったという伝承が種目化の原点です。
1896年に開催された第1回近代オリンピック・アテネ大会で、この故事を記念して長距離走が採用されました。ただし、当時のマラソンは今のように厳密な距離規定がなく、第1回アテネ大会の距離は約40km(実測約36.75kmとも言われる)でした。
続く1900年パリ大会は約40.26km、1904年セントルイス大会は約40kmと、当時は「およそ40km前後の適当なコース」を走る競技であり、42.195kmという数値は影も形もありませんでした。
【真相】なぜ中途半端?1908年ロンドン五輪とイギリス王室の要望
数字が大きく変わる契機となったのが、1908年の第4回ロンドンオリンピックです。当初、大会組織委員会はスタート地点をウィンザー城、ゴール地点をホワイトシティ・スタジアムとする「約26マイル(約41.843km)」のコースを計画していました。
ところが、大会直前にコース変更を余儀なくされる事態が発生します。時のイギリス国王エドワード7世の妃であるアレクサンドラ王妃をはじめとする王室側から、2つの要望が寄せられたためです。
1つ目は「王室の子供たちが部屋の窓からスタートを見学できるように、スタート地点をウィンザー城の東側テラス前にしてほしい」という要望。2つ目は「スタジアム内の貴賓席(ロイヤルボックス)の目の前をゴール地点にしてほしい」という要望でした。
これら王室の要望を受け入れてコースを延長・再調整した結果、総距離は26マイル385ヤード(=正確に42.195km)へと伸びることになりました。中途半端な数字の直接的な原因は、ロンドン五輪におけるイギリス王室への配慮だったのです。
【劇的ドラマ】世界を揺るがした「ドランドの悲劇」と距離の定着
もしロンドン五輪が平穏に終わっていれば、この42.195kmという距離は一過性のものとして忘れ去られていたかもしれません。この距離を歴史に刻み付けたのが、陸上史に残る大事件「ドランドの悲劇」です。
過酷な暑さと延長された距離の中で先頭を走っていたイタリアのドランド・ピエトリ選手は、トップで競技場に姿を現したものの、極度の疲労から意識朦朧となり、コースを逆走したり何度も倒れ込んだりしました。見かねた役員や医師が彼の手を引いてゴールラインを越えさせたため、ドランドは1着でフィニッシュしながらも「役員の助力を受けた」として無念の失格処分を受けます。
この命がけの力走は世界中に凄まじい感動と衝撃を与えました。アレクサンドラ王妃自らがドランドの健闘を讃えて金杯を贈呈したこともあり、彼が走った「ロンドン五輪のコース(42.195km)」は一躍、世界中で伝説の距離として語り継がれることになります。
【歴史と変遷】42.195kmが正式ルールとして決定されるまでの歩み
ドランドの悲劇以降、世界各地で「ロンドンと同じ距離で走ろう」というマッチレースがブームになりましたが、オリンピックの距離がすぐに統一されたわけではありません。
1912年のストックホルム大会では40.2km、1920年のアントワープ大会では42.75kmと、依然として開催国ごとに距離が異なっていました。
混迷する状況を整理するため、1921年に国際陸上競技連盟(現・ワールドアスレティックス)がマラソンの正式距離を規定する議論を実施。最も劇的なドラマを生み、世界的な知名度を獲得していた1908年ロンドン大会の距離を採用し、「42.195km(26マイル385ヤード)」を世界共通の公式ルールとして正式決定しました。続く1924年のパリ大会からこの距離が恒久的に定着し、現在に至ります。
【雑学・豆知識】知るとレース観戦が10倍面白くなるマラソン裏話
42.195kmという距離には、知っておくと観戦やトレーニングがさらに奥深くなる豆知識が数多く存在します。
一般的な成人の歩幅(約70〜80cm)で換算すると、フルマラソン完走にはおよそ5万歩〜6万歩が必要です。トップランナーの歩幅は160〜180cmにも達し、約2万5000歩前後の驚異的なストライドで走り抜けます。
また、男子の世界最高峰ランナーは42.195kmを2時間前後で走破します。これは100mを約17秒台前半、1kmを2分50秒前後という猛烈なペースで42km以上ノンストップで走り続ける計算になります。
なお、国際公認コースとして認定されるには「スタートとゴールの直線距離が全距離の50%以内」「標高の全体的な下がり勾配が1kmあたり1m以内」といった厳格な規定が定められています。ボストンマラソンのように高低差の条件から世界記録公認外となる名門レースも存在します。
【42.195 キロ なぜ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:もしイギリス王室の要望がなければ、マラソンの距離はどうなっていた?
A1:ロンドン五輪の当初計画だった「26マイル(約41.843km)」、あるいは第1回アテネ大会のような「約40km」で統一されていた可能性が極めて高いと考えられています。
Q2:なぜ「42km」に四捨五入して統一しなかったのですか?
A2:1908年のロンドン大会で生まれた「26マイル385ヤード」の記録やコース設定があまりにも有名になり、その劇的なドラマ性への敬意と正確なマイル換算を優先したため、メートル法換算で端数の出る「42.195km」がそのまま採用されました。
Q3:昔のマラソン選手は現在よりも短い距離を走っていたのですか?
A3:大会によって異なります。第1回アテネ大会(約40km)のように短い場合もあれば、1920年アントワープ大会(42.75km)のように現在より500m以上長いコースを走らされていた事例もありました。
まとめ:42.195kmに刻まれた100年以上の歴史ロマン
マラソンの「42.195km」という独特な距離は、古代ギリシャの伝承、イギリス王室の細かな要望、そしてゴール前で力尽きたランナーが巻き起こした感動の連鎖によって偶然と必然が重なり合って誕生したものです。
数字の裏にある人間味あふれる歴史やドラマを知ることで、ランナーの走る姿やレース観戦の景色がより一層深いものとして感じられるはずです。 (出典: 42195 キロ なぜ(Yahoo!ニュース))